こんばんは、Clariceです。
ようやく短編ながら小説が書けました。
ずっと書きたくて温めていた長編物語の後日談ですが、独立したストーリーとしても読めるように書きました。
今回の『水鏡に咲く色彩は』というタイトルは、花火を想起させるものとしてつけました。
私のなかで花火の音楽といえばヘンデルの「王宮の花火の音楽」ですが、
今年4年ぶりに行われた琵琶湖花火大会のフィナーレでは「威風堂々」にあわせて花火が打ち上げられていました。
コロナ前以来の復活ということで、勇んで現地に赴く人が多かったですけど、私は祖父母のおうちからテレビで見ました。
涼しい部屋でビールを飲みつつ、祖父母と猫(保護猫のハチワレちゃん)と一緒に見るのが一番の特等席です。
Clariceは幼少期を祖父母のおうちで過ごしたので、今でも暇さえあれば遊びに行きます。
徐々に開発は進みつつも、まだまだ自然豊かで、川には蛍がきて、山では蝉の大合唱。近くにコンビニはありません。
今年、初すいか。
次の日はお盆の墓参りにお寺へとお供しました。
うだるような暑さとなるのがわかっていましたから、「我々がほとけさんになるよ!日を改めたほうがいいよ!」と阻止するつもりでいましたが。
あの、じいちゃんばあちゃんのお寺へ赴くことへの使命感はどこからくるのでしょうか…
おじいちゃんは普通にお仕事ということでバイクで出勤していきました。
根負けし、私がついていかねばということで、二人ぶんのペットボトルと日傘を持って、
さらに途中、ドラッグストアで日焼け止めスプレーと虫よけスプレーを購入し、万全の態勢でいきました。
危険と判断したら早々に切り上げるつもりでいました。
(このあいだはまた職場で新たに熱中症者が出て、付き添いで救急車に同乗したばかりでした)
バスを乗り継いで寺につくと、本堂ではお参りが始まっていました。
今時はもう本堂にも高齢化のすすむ信者さんのために丸椅子が用意されているのですね。
今の代のお坊さんはまだ若いのに子沢山。跡継ぎ問題には困らなそうな印象でした。
しかしまぁ、ついてきてよかったです。
お花屋さんからお花持って、階段があればカートを持ち上げて、バケツに水汲んで、お塔婆設置して。
さらには、草抜きなんかしていたら、倒れてしまいます。
そうして、高齢者の視点で歩くと、バリアフリーってまだまだ行き届いてないのだなぁと気づかされます。
それにしても、寺コミュニティというのは結束の固いこと。
「帰りは乗っていきなさいよ」とおばあちゃんの仲間のご夫婦が、車で近くの駅まで送ってくださいました。
「お孫さんがついてきていいわねぇ!学生さん?おばあちゃんに甘えときなさいよ。今のうちにね」
と言われたので、年齢を告げると「結構いってるわねぇぇ。ひ孫はいつかいねぇぇ」といって一瞬で手のひら返して爆笑されたので、
「そのうち!そのうち!」と言ってさらに笑かしときました。
私のことに本当に口出ししないおばあちゃんにも、「いつまでも工場にしがみついてないで、云々」とよく言われます(こんな体たらくで本当に申し訳ない)
それにしても、田舎コミュニティのパワーというものは、末恐ろしいです。
この集落も高齢化だ!限界だ!なんて元気に言っているのがずっと続けばいいなぁと。そう願わずにはおれません。
みなさん、できるだけ長く長く、健康でいてくださいよ。
「日本の夏」よ、失われることなかれ。
水辺の空の色が、いちばん好きです。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!(^^♪