印象をただよう告解部屋

キラリと思い浮かんだことあれこれ

ファンタジーを綴ることのあやうさと魅力

こんにちは、Clariceです。

わたくし、かねてから趣味で小説を書いています。

学生のころから、ちまちまとノートに書き溜める、みたいなことはしていたのですが、それらの物語を手直しながら小説投稿サイトにあげています。

そのなかで、素人ながら読み手を意識して、ファンタジー小説を書くことの難しさについて、考えたことを徒然書いていきたいと思います。

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本当に、個人的意見ばかりなんですけど、あくまで私のファンタジー文学観として捉えていただければと思います。

ここでいう、ファンタジーものとは、いわゆるハイ・ファンタジーと呼ばれるジャンルを指すものとします。

私たちの暮らす現実世界ではない、異なる世界を舞台とする作品のことです。


ファンタジーの世界作りに伴う困難



一応、投稿中の小説、ひと段落の区切りがついて思うことは。

やはり、ものすごく難しい。

ファンタジーものは、世界観とか設定を自分で自由に考えられるからいいよねーなんて昔は甘い考えでいましたが。

筋の通ったファンタジーは、現実が見えていないと書けない、と痛感します。

そして、そのなかでオリジナル性を出すことの困難さたるや。

というのも、西洋史にハマってから、ファンタジーものを見る目がすっかりシビアになってしまいました。

たとえば、登場人物の名前、この時点で立ち止まります。

かっこいいカタカナを多用すればいいというものではありません。

Henryという名前ひとつとっても、英語発音であるヘンリーは、フランス語ではHenri(アンリ)となり、ドイツではHeinrich(ハインリヒ)となり、はたまたイタリアではEnrico(エンリコ)、そしてスペインではEnrique(エンリケ)に。

このへんが多言語入り交っていたら、まず気になるわけです。

Burg(ブルク)はドイツ語でお城を意味するため、~ブルクって街の名称をつけるときは、気をつけなきゃ。
かたやBerg(ベルク)は、山って意味だから、云々。

そもそも、ファンタジーの世界にドイツなんてないじゃん。

みたいな。

銀河英雄伝説進撃の巨人みたいに、全員名前をドイツ呼びにすれば解決するのか?

みたいな具合で(;^ω^)

ここまで突き詰めると、もはや固有名詞を出せなくなってしまいます。
きっと植物や建築様式、料理の描写についても悩みます。

宗教観も気になる。
物語内で「教会に十字架」、なんて容易に書いてしまいましたが、キリスト教の存在しない世界にそんなもの…となってしまうわけです。

地理と気候についても気になる。等々。

もうお手上げ状態!!!!(; ・`д・´)

ファンタジーだからこそ、活きること



じゃ、こんなに制約が多い中で、ファンタジー小説の旨味ってなんだろう、と初心に帰ります。

自分が子供のころ、面白いと思い、読んできた作品たちにそのヒントがあるかもしれない。

シェーラ姫の冒険、魔女の宅急便、霧の向こうの不思議な街、アルスラーン戦記ゲド戦記ブレイブストーリー。。。


結局、不思議な世界であったり、過酷な状況で起きるさまざまな体験を通した主人公たちの成長なのかな、と思います。

現実だとありえないような世界の常識のなかで語られることが、意外と真理に近いところをついていたり。

いい意味で距離を置いて、手放しに共感できる。

現代日本を舞台としたオフィスもの、学園ものなどは、ときに生々しすぎて避けてしまったり、そんなこと現実にあるかい、と斜めに見てしまうことがあります。

それがファンタジーものだと、なんだかすとんとくる説得力を持つんです。

でも、どんなファンタジー作品にも当てはまるかと言われれば、そうでもなく。

ファンタジー世界を旅する私たちが気づくか気づかないかのところに、現実世界を反映する出来事、思想、概念がうまく込められているものほど良い。

そういう作品ほど、分析・考察するほどさまざまな技巧が凝らされており、面白いのです。

まるで子どもに絵本で読み聞かせるみたいですね。

だから、ご都合主義なだけでは心に響くファンタジー小説にならないのだと痛感しました。

まだまだ力不足でした。出直して参ります(;^ω^)

でも、密かな野望はヨーロッパを舞台にした歴史小説を書き上げることです。

つまりは人生、経験だ



作者は、箱庭世界の神のように、自分の内に籠っているだけではいけないんですよね。

ただ読み漁っているだけでは、オリジナリティのあるファンタジーは書けない。

小説を書くことだけでなく、何に関しても言えることになりますが。


私は、「他者への依存」という言葉が非常に苦手です。

現実世界を、自分自身の目で眺め、音を聴かなくては。
色んな考えに触れ、情勢を読んで自身で考えなくては。

そうして得た自分の答が、世間のニュースや、心無い言葉に、惑わされない本当の強さというものだと思います。

自分を生きること、そして表現することは、まさしく戦いなのです。

人の胸を打つものってなんでもそうして生み出されたものなのだと思います。

誰かの受け売りでない自分の文字や考えは、直接学んだことからしか生み出せないのだと思うのです。




今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!(^^♪

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