Clariceです。
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨日の地震は恐ろしかったですね。被害に見舞われた方々には、お悔み申し上げます。
去年、金沢旅行で訪れた加賀温泉の駅や周辺がニュースで酷い光景になっていてショックを受けました。
石川、新潟に帰省している友人たちとはすぐに連絡がとれて安堵しましたが、今現在も辛く恐ろしい思いをしていると思います。
海の見える街に住んでいると聞いていたので、本当に心配でした。
以前、東北の被災地を訪れて現地で話を聞いて以来、地震と津波への危機意識は身に刻まれています。
一度流されて意識を失うも、ベランダに引っ掛かり奇跡的に無事だった方ともお話しました。
陸前高田、大船渡の仮設住宅住まいの方々は、大切なものを失うときはあっという間だと仰っていました。
こういったときの心地を表現するのに適切な言葉はないと思います。
そして、とある被災地域の避難先での暮らしのこと。
現地の市役所職員の方の話です。
寒く、支援物資もまだ届かぬ夜。
夜を越すため、毛布が必要で。
無事な地域の住宅から分けていただけるようお願いして回りましょう、との提案をするしかなかった。
対して、人々は不安とおそれのなかで支援物資はまだかと、統制不能なほどの大混乱。
そんななか、一人の方が「この職員の人を責めても毛布も食料もでてこないから、頭下げて回るしかないよ。やりましょう」と声を上げたそうな。
避難所の構造を、村社会のように班分けして、毛布調達をすることに。
結果、凄い量の毛布が避難先に積み上がり、ばらばらだった人々の心が、はじめてひとつになったそうです。
そうして、避難先をひとつの村に見立てた運営は、数々の工夫のなかで秩序をつくるのに成功したといいます。
支援物資の配給の話では。
たまに届けられるお菓子や果物など少量の贈り物をどう分配するか。
何がきても、班で順番に受け取ることに決まったそうです。
次は何が届くかなとそれを楽しみに待てるから。
墨をいれた方も、ひざをついて他の被災者の方たちと床掃除をしていたのが、印象的だったと。
こういった貴重な体験談から学ぶことは多いと思います。
何もないところにゼロからルールを作るのは非常に難しいことです。
こうした緊急時の方針やマネジメント方法は、ナレッジとしてぜひとも共有されるべきと思いました。
何名かからは、ここで聞いた話と見た光景を、持って帰ってくださいねと託されました。
思い起こして、口に出すのもつらいような経験の数々だったはずです。
地震大国の日本にいる以上、どこにいても他人ごとではありません。
知っているのと、知らないとでは違います。
ニュースやSNSの一時的な報道だけではその後の暮らしのニュアンスは伝わりません。
仮設住宅で出会い、お花の話で盛り上がった女性は、のちにハンドメイドのペーパーフラワーの花束と手で編んだかごバッグを送ってくださった。
しばらくお手紙のやりとりをしていた東北のおかあさんは、元気にしていらっしゃるかな。
美しい北陸の夜明け。
一刻も早く、平穏な暮らしが戻りますように。