こんばんは、Clariceです。
季節はすっかり春ですね^^
最近は、お弁当を作ってお花見をしたり、文通友達に「会いましょう」とお便りを出したり、近くに引っ越してきた友達のお部屋にお邪魔したりと、楽しく過ごしております。
来月は初めてのグランピングを予約しました。
仕事では、昇進の発表で話題が持ちきりです。
その雰囲気に喜ばしいと思いながらも、やはり噂話が飛び交っていて少々疲れます。
あの人はどうして上がれないのか、とか下剋上、とか。。
他人のことが気になるのが、人間の性、と。嫌ですねぇ。
私は今のところ異動もなく、変わりなく、でした。
このままいくと来年は、シュニン、らしいです。私(..)
そのために実績を積まねば、とのこと。
…また春になってしまったか、という感じ。
この季節は大好きなのですけど、なんか惰性感が年々増している感じがします。
自分は現場監督でトップを目指しているんでしたっけ?みたいな。
毎日続けることを、できないことはないんです。
でも、先の具体的な未来の姿が全然描けなくて。
これからのことは、わかりません。
いろいろ、動いたり動かなかったり、考えたり悩んだり、遊んだりしています。
職場でも季節の変わり目とか新体制、ということで心身の調子を崩している人もちょくちょく見かけます。
対応を誤れば自身の身体を傷つけかねない方もおられます。
傷つける相手は、それは自分自身であれ、それは傷害罪だと思ってます。やめて。
同期いわく「気にしい」の私は、人にばんばん指示を出して大局を動かすのに向いてないのだと、もう気づいてます。
そんな弱音をぽつりと、このあいだ同僚にこぼしてしまいました。
こんなことを会社で口にすることに、メリットはないんですけども。
すると、その方いわく「クラリスさん、天職だと思いますけどね」とのこと。
衝撃的なんですけども!?お世辞としても天職とは。。
「私、黙々と机に向かってこなす作業の方が得意と思ってましたが。私、学者になりたかったんですよ」
「えー?人に指示出して、話す方が向いてますよ、きっと」
「やですよ。無理してるんです」
「じゃ、頑張ってるんですね。みんな何だかんだいろいろ抱えながら、頑張ってますよね」
「ええ。病名を公言してなくても、それぞれ抱えてると思います。ぼちぼち頑張りましょう」
このようなやりとりができるからこそ、なんだかんだ、続いてるんだと思います。
昔の自分は、こういった会話を、他人とはできなかったです。
◇
このあいだ辞めてしまった方との挨拶では、ずいぶん感謝されてしまいました。
「クラリスさん、いい上司になりますよ。あなたみたいな人ばかりだったら辞めてなかったんですけど、どうにもエラそうで命令口調の人が多いから。もっと大河ドラマのお話したかったです」
私はずいぶんと御しやすかったでしょうね笑
…私みたいなのばっかりだったら、職場は一瞬で機能しなくなります。決断力はゴミだし、頼りないから。
やっぱりいろんな人間がいてこそ、適材適所で職場は回るのだと思います。
この方、ものすごくベテランで仕事ができる代わりに、周りの粗を探して言いふらして辞職に追い込んだり、業務を拒否して帰ってしまったりする「問題児」で周りはずいぶん手を焼いていたのですが。。
私には何故か悪い部分を見せようとしなかった。
「知的で面倒見の良い奥さん」だったように私には思われて、他からの報告のギャップに戸惑っていたのです。
人の性質って、多面体ですね。
善い人、悪い人、とかそんなふうに断定できないフクザツな生き物です。
むろん、人の陰口を他所で言うのは、陰湿です。
コミュニティを乱す、最低な、許されざる行為です。善行も意味がなくなると、私は思っています。
不良が時折優しさを見せても、日常的に人を殴っていたら、アウトでしょう?
前も書いたような気がしますが、自分は「性悪説」推しです。
人間は弱い存在だから、後天的努力や規律が必要だと思うんです。
まぁ、それで今から言語化がムツカシイことを書くのですが、
どうも、人には自分の善い行いを為す自分を信じたい、のような性質が備わっているように自分には思われるのです。
良心、とでもいうのでしょうか。
正直、行動を結果として出すことに意味のある「仕事」の世界では、この性質は有用なのです。
こいつが「やりがい」の正体でしょうか。
何かをきっかけに、それを引き出せる、ような気がするのです。
例えば、私の友人のポラリスちゃんは、その天才なんです。
司令塔は本当に向いてないけど、そんな人になりたいですね。
結局、現場が動くのは、人ありきですから。
◇
私がよくしてもらっている先輩は、さらに上のきつい先輩に職場の環境改善案を提案し、
「日常業務も完璧にできないのに、改善を提案するってどうかと思う」という旨のダメだしを食らって、ものすごく落ち込んでしまいました。
私の場合は、その場で言い返すから大抵喧嘩になるけど、一応職場でおおやけになって、結果としてこっちの正論が認められれば、その改善が果たされる、ことが多いのですが。(必ずその日のうちに和解はしますが、一緒に食堂には二度と行かなくなった)
先輩の意見を立てて黙って引き下がると、言われっぱなしで病み抱えるって、なんか社会の縮図見てるみたいで辛いです。。
後輩のポジティブな提案をどうしてこう、論点の違うダメ出しで返せるんですかね?機嫌悪いだけじゃん。
その結果どういった現象がカルマとして跳ね返ってくるか、少し想像したらわかると思いますけども。。
価値観の違い、って恐ろしい、ほんとに。
違いは、悪いことじゃない。
でも、意見を圧殺したり、ちゃぶ台返しで話し合いを放棄するのは、良くない。
◇
最近、同期の生き残りである、親愛なるモノリスちゃんに、会社近くの秘密の場所を教えてもらいました。
休憩時間が合う日は、一緒にその緑いっぱいの場所でお弁当を広げるようになりました。
お気に入りのタンブラーに熱い紅茶を入れて、コンビニでチョコレートを調達して。
お弁当は昨夜、寝ぼけながら作った、イングリッシュマフィンのサンドイッチ。
桜の木は葉桜になりかけていますが、散りゆく花びらは小川をさらさらと流れていきます。
数羽で飛んできたすずめが梢を揺らし、鳩はもの欲しそうに足元を行ったり来たり。
私たちは、ガラにもなく平和に感謝しつつ、束の間の脱走を楽しみました。
―ねぇ、クラリスちゃん。
―なぁに。
―あれ、クマバチだよ。
―そうだね。
―知っている?クマバチってね本当は飛べない体形なのに頑張って飛んでる、ってことが最近の研究で明らかになったらしいよ。
―なにそれ。私たちみたい。
―かわいくない?最新の研究でわかったのが、それって。
モノリスちゃんは、ときどき私と感性がリンクする、不思議な人だ。
喜びも、怒りも哀しみも、楽しみも、いろいろあるのが、人生なんです。
たぶん、そういうのを味わう時間でしょう、「今」はね。
日本に四季があってよかった。
桜の記事は、また今度書けるといいな。
書きたいことはたまっているのですが、なにしろアタマの情報整理が追い付かないもので。