こんにちは、Clariceです。
今日は節分ですね。歴女の身としては、俄然燃えます。
歳時行事は、大切にしたいと思っています。
西洋史大好き人間ですが、四季の移ろいを慈しむ日本人の繊細な心は美しいです。
せっかくですので、歴史を通して節分について紐解いてみましょう。
◇節分って何の日?
節分というのは、「季節を分ける」という意味で、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前日を指します。
なかでも、立春前日の節分は、一年の始まりとされ、邪気を払うという意味で重要視されてきました。
◇鬼は災いの象徴
鬼は、古来から災害・病・飢餓の象徴とされていました。
「鬼門」なんて言葉もありますが、古来から「鬼の出入りする忌避すべき方角」として今でも風水として生きています。
中国から伝来した陰陽道の思想で、「鬼」は抽象的な概念から、我々に馴染みのある姿を持ったといえます。
余談ですが、鬼子母神を祀る寺社では「福は内、鬼は内」というそうです。
ですが、今年はもっぱらこの「病」退散の祈願として、邪気を払いたいところです。
◇豆まきにおけるハレとケの思想
※ここからは、完全に歴史学的観点に立った私の考えです。
「豆まき」も平安時代に、中国から入ってきた文化です。
悪魔祓いの「追儺の儀式」に由来するんだとか。
豆まきは「ハレとケ」の思想に該当すると考えられます。
「ハレとケ」という考え方は民俗学者、柳田國男(1875-1962)によって見出されました。
日本古来から生活には、おめでたい「晴れ」と忌むべき「穢れ」の線引きがあり、区別されているという考え方です。
この「ケ」=穢れ、は日常のことを指します。
ちなみに、ヨーロッパにも聖俗二元論という宗教思想があります。
俗界と聖域という二元論t的考え方は東西でも似通っているのではないでしょうか。
◇豆まきと言えば…時空を超えて、中世ヨーロッパへ
豆まきは、家を聖域として、鬼のいる外に向けて豆を投げて入ってこないよう追い出すのですよね。
中世ヨーロッパにおける聖域=アジールというのは、歴史的概念で、世俗権力の及ばない避難所のことです。
教会や神社仏閣、そしてヨーロッパにおける自治都市などもこれに該当します。
中世ドイツの研究者、阿部謹也さんの著作でもよく言及されています。
空間・コミュニティの概念には、内・外の境界があり、その世界の単位が連鎖していき小宇宙が大宇宙を形成している、と。
屋内と屋外、家族と村人、徒弟と職人組合(ギルド)、村と森というようにです。
この時代は、報復という考えが法律として認められており、それはフェーデ(復讐)やアハト(追放)と呼ばれました。
このようにして身の危険を感じた者は、真っ先にアジールに逃げ込みます。
追っている者は、アジールにいる者には基本的に手を出せないのです。
聖職者らは、神のもとに匿わなくてはなりません。
まぁ、追手は外で待ち伏せして兵糧攻めするんですけど。
節分の豆まきを思うと、毎年これを思い浮かべてしまいます。
(; ・`д・´)
節分→ハレとケ→中世ヨーロッパ。どんなパンチの効いた連想ゲーム。。
◇ 歴史を学ぶことは、単なる暗記ではないと声を大にして言いましょう。
ヨーロッパの中世(西ローマ帝国崩壊後~ルネサンス)は、文明の発展という見方をすれば、暗黒の中世と呼ばれます。
しかし、中世を暗黒とする考え方は、現在では疑問視または否定されることもあります。
歴史学というのは、常に議論の繰り返しなのです。
話は少々飛躍しますが、何事にもこのようにリテラシーを持つことは、この情報過多社会に簡単に流されない強みとなります。
そして、ペストが大流行していたこの頃から、人間はさして進歩していないのですよ。
豊かになっても、大衆心理の方は。
誤解を恐れずに言うと、この世はコロナ禍で疑心暗鬼になりすぎでは。
何も、軽視しろとは言ってません。平静を保てと言っているのです。
年配は、若者を。若者は年配を。都心部を。心身的理由でマスクができない方を。
なぜ、ニュースを見ては、自分たちを対立構造に置き、言い合うのでしょうか。
すっかり鬼に惑わされています。この状態では、冷静に現状に対処できません。
今年こそ肝に銘じて、しっかりと、豆まきしておきましょう。
今一度、歴史の教育の在り方と重要性を、見直すべきなんじゃないかなぁとそんなことを思う今日この頃です。
いや、何の話でしたっけ(;^ω^)
今週のお題「鬼」
◇節分についての参考文献◇
成美堂出版『くらし歳時記』伊藤美樹 絵/生活楽しみ隊 編
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!(^^♪