印象をただよう告解部屋

キラリと思い浮かんだことあれこれ

起点の消滅、新型ウイルス騒ぎに対する私感

Q、そういえば、このブログを書く原動力は「感染症」と「夜勤勤務」によるフラストレーションであったわけですが、それを失くしつつあることについて。

A、告解部屋にとっての幸いでありゴールです。でも、また再出発します。


当時、特に嫌でたまらなかったのが、今までにない世界的な感染症の流行により、狼狽して人を責めたり、疑心暗鬼になったりする人間の業が露呈したことで、それが何よりしんどかった。

周囲でも対策や考え方の違い、ワクチンのことでよくもめてましたが、あれは言い争う必要はあったのだろうかと疑問に思います。

きっと不安でたまらなく小心者な人ほど、それをごまかすために声が大きくなっていたのでしょう。


そういうわけで、それが無くなって穏やかになりました。

でもそれは、非常事態でなくなったから。また何らかの非常事態になったら荒れるのでしょう。世間は。


非常事態において最重要課題なのは、情報の取捨選択とそれに基づく規範作りなのであって、私心による大騒ぎは集団パニックや情報の混乱を誘発するからやめさせたほうがいいと学びましたね。今回。


流行真っ最中の自分の記事。

最近だと新型コロナウイルスに伴う

デマやヘイトが蔓延り、ネットによる情報過多状態から疑心暗鬼になった人々ばかりで嫌になる

現代人のリテラシーの欠如に驚くばかり

メディアはここ最近で、類を見ないパニック状態だ

バイオハザードパンデミックバイオテロ、物資不足、コロナ疎開

聞いたこともないような造語や誇張表現で

わめき散らしている


これでは、中世における黒死病流行時

毒を井戸にまいたという噂でユダヤ人が迫害され、

黒死病に伏した病人を家ごと焼き払うというような、当時の人々の蒙昧ぶりと対して変わらない


疫病はいつの時代にもつきまとう大問題だ

潔癖に慣れきった日本の現代社会のメンタルには

重荷すぎたのか
(2020-03-04「西洋史に学ぶことたくさん」より)

この頃はまだ大学生気分が今よりもっと抜けていなくて、今よりもっと世間が嫌いだった。

でも果たして、世間ってなんでしょうね。

自分にとって都合よく作られた実体のないものに不満を覚えていた時代。

Twitterの見過ぎでしたね。もうあまり見なくなった。

そしてその翌年も新型ウイルスは勢いを弱めず、まだ同じようなことを書いていました。

・・・ペストが大流行していたこの頃から、人間はさして進歩していないのですよ。
豊かになっても、大衆心理の方は。

誤解を恐れずに言うと、この世はコロナ禍で疑心暗鬼になりすぎでは。

何も、軽視しろとは言ってません。平静を保てと言っているのです。

年配は、若者を。若者は年配を。都心部を。心身的理由でマスクができない方を。

なぜ、ニュースを見ては、自分たちを対立構造に置き、言い合うのでしょうか。

すっかり鬼に惑わされています。この状態では、冷静に現状に対処できません。

今年こそ肝に銘じて、しっかりと、豆まきしておきましょう。

今一度、歴史の教育の在り方と重要性を、見直すべきなんじゃないかなぁとそんなことを思う今日この頃です。

(2021-02-02「歴女が暦で読み解くハレとケの節分」より)

私はもう、店頭に並ぶカミュの『ペスト』は全然読む気にならず、読むとしたらこんなときこそボッカチオの『デカメロン』を引っ張り出そうと思っていました。

学生時代の友人も何名かデカメロンの話題を出していて、「ああ類友だなぁ」としょうもなく安心していた当時。


そして、その翌年。

自分は、メディアや影響力のある人物の情報リテラシーの在り方について、モヤモヤしていたようです。

ようやく「自分の」ブログで読者に向けて書いていいこととよくないことの分別がついてきた頃。

これらの記事は、騒ぎの真っ最中に告知してまで、わざわざ発信する内容ではなかったですね。
(それでもまた掘り返してきてアップするわけですけど)

このへんで読者登録が減ったり増えたりしました。今も昔も、これに関しては株価の変動くらいにしか思ってないです。

世界が網目状につながって、ずいぶんと狭くなったような気がするのですが、コロナでいろんな「断絶」が起きて、結局地理的な距離ってどうにもならんなと思うわけです。


画面内にみる世界をそのまま受け入れると、偏った視点や、誰かの視点でものを見ることに気づかない恐れがあります。


(2022-02-21「私達はデジタルの魔法を解けるのか」より)


時間に追われる昨今、情報の「切り抜き」がブームとなっていますが、これが一番危うい傾向だと思います。


しかも、何でもネットに書いてあると思ったら全然そうではないわけで。

AIだって、ネットの情報をもとに解析して出力するわけでしょう。

あくまでツールにすぎず、乗りこなすのはそれを正しく判別できる人間であらねば。

そのためにはやはり、今までと同様に、もしくはそれ以上に学習しなくてはいけないですね。


論文を書いているときに嫌というほど思い知りました。

ネットがいかに情報の偏りがあり、誤りがあり、求めていることにたどり着けないか。

でももう現代人は忙しいから、原典まではたどらないでしょう。

というか、ソースを明示していない記事さえ多いでしょう。


私は信者じゃないですけど、「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」って某掲示板の設立者も言ってましたね。

その界隈のネット文化で育った者にしかわからないでしょうね、こういうのをいじりつつ受け入れるノリは。
(そのあたりの流れを知らない人は好ましく思わない人も多いらしいですね)


つまり、リテラシー教育が追い付いてないから、引き戻せなくなりつつある。

何もかもにおいて収益化が為され、大衆への迎合が進む今、いったい誰が警鐘を鳴らすのでしょう。





今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!(^^♪
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