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なぜ人は物語を必要とするのか。梨木 香歩『ピスタチオ』感想

梨木 香歩『ピスタチオ』筑摩書房(2014)


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緑溢れる武蔵野にパートナーと老いた犬と暮らす棚(たな)。ライターを生業とする彼女に、ある日アフリカの取材の話が舞い込む。犬の病、カモの渡り、前線の通過、友人の死の知らせ……不思議な符号が起こりはじめ、何者かに導かれるようにアフリカへ。内戦の記憶の残る彼の地で、失った片割れを探すナカトと棚が出会ったものは。生命と死、水と風が循環する、原初の物語。


最後まで読んだ瞬間、ああ、これもまた旅する幻想文学の一種だというように感じた。

主人公の豊かな感性を通してこの世界を「別」の角度から視るような不思議な感覚。
アフリカの太古から続く、魔術的な独特の空気。

梨木さんの言葉は、どこを探しても見つからなかったような漠然としたもどかしい部分にそっと触れ、的確に言い表してくれる。



作家である自立心旺盛な女性、棚(ライターとしてのペンネーム)。
彼女はいつも全身で自然を感じ取っている。今日も愛犬マースをつれて、散歩に出る。


特に興味深かったのは、彼女が気圧の変化が体に与える影響に対して、特別な関心をもつという点。


寒冷前線にともなう風の強さを体感すべく窓を開ける。

そして、熱っぽい風が吹きすさび、乾季のアフリカの地から渡ってきた空気や湿度を感じるのだった。

棚は、仕事でケニアに長期滞在していたことがあった。



棚をとりまく登場人物との会話とともに、静かに物語は進行し、気が付けばすっかり梨木さんワールドに引き込まれる。

中盤から舞台はアフリカへ。棚は取材の仕事を受け、はじめて訪れることとなるウガンダの地へ向かう。

彼女はさまざまな縁に導かれるまま、アフリカの呪術医を研究しながら死んだという知り合い、「片山海里」の足跡をたどることとなる。



精霊信仰、精霊憑依、ジンナジュ、ダバ…

アフリカの民間医療は未だ呪術的なものと切っても切り離せない。

国は近代化を推進するべく表面上では呪術などないことにしているが、実際はハーバリストの看板を掲げ、呪術医療を施す者も多いのが現実だとか。


諸所のリアルな話に、どうにも土着的な信仰に敏感な自分は、恐怖すらおぼえる。

だが、あくまこれは外部の人間(読者)の目を通した、如何ともし難い偏見に満ちた視点のひとつだ。



私事になるが、自分にとって「民俗学」は関心の対象であるとともに畏怖の対象でもある。

おそらく太古の昔から信じられ、続けられてきた営みにそのぶんだけ力がこもっている感じがして怖いのである。


大阪の万博記念公園には、国立民族学博物館みんぱく)がある。

大学時代に研修で何度か訪れているが、雑多に並べられた一次史料群が怖くて怖くて。

そのとき学力以外の面でも「ああ、自分は学芸員にはなれやしないな」と思った。


確か初代館長によって現地より収集されたお面やら呪いの人形やら楽器やらの資料は、整然と展示されている。

しかし、さまざまな念の渦巻く空間のように思われた。周りには意味わからんと笑われるが(!?)

静かで広大な館内において、自分は失神するかと思ったほどだからただ事ではない。


日本でいうと柳田國男の『遠野物語』的なものも、正直ニガテだ。とにかく恐ろしい。

でも、怖いもの見たさで、やっぱり関心がある。



自分のアフリカのイメージは、今なお続く内戦の悲惨な現状と、奴隷狩りをめぐる壮絶な歴史が入り混じって混沌としている。


『ピスタチオ』で、そういった側面とともに描かれるのは地球そのものを表すようなアフリカの生命力あふれる大地である。

そして、そこで暮らす人々が鋭い筆致で描かれる。


人はいかに生き、何を思い死んでゆくのか。

棚の知り合いである、亡き片山が伝統医から収集した民話群。

死者には抱いて眠るための物語が必要、と。


読み進めるうちに、どうしてこの本のタイトルが「ピスタチオ」であるのかは明らかになる。


棚は最後に、ひとつの物語を書き上げる。

すべての出来事が、「ピスタチオ」の物語に収斂されてゆくのが圧巻だった。




今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!(^^♪
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