おはようございます。
今回はドラマパートその2、Clariceサイドです。
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こんにちは。
あら、ごめんなさいね、まだ準備できてないんです。
作業しながらでよろしければ。
前回Crossに会ったんですか?
引継ぎによると、ギリシア女神の顕現についてのお話だったそうですね。
本気になさらないでくださいね、彼は少し、大げさに話してしまうところがありますから。
エクソシストだって言ったんでしょう?
名ばかりです。なんでも屋さん、のような仕事ですよ実際は。
だいたいこのご時世にそのような非科学的なことがあってたまりません。
昨今の考古学ブームの熱に浮かされているんでしょう。
あら、私の立ち位置ですか?
私は、バチカンの者じゃないですよ。厳密に言うと、Crossも。
でも、私たちが存在するためには、必要なんです。
居場所としての箱がね。
私は、不確かな昔のことよりも、もっと今のことに興味があるんですよ。
街でもすごいスピードで工業化が進んでいるでしょう。
もうああいったのがないなんて、思い出せないですね。
だから、皮肉なことに世間の関心が昔のことに向いているんではなくって?
なっていったかしら。ナポリに近い、ああ、ヘルクラネウムですね。
古代ローマ帝国統治時代、ヴェスヴィオ火山の噴火でポンペイとともに失われた街ですよ。
いつになったら発掘が再開されるのかしら。
まぁ、こういった話はロマンチストなCrossくんに任せましょう。
私の関心は、最近話題の政策のことです。
警察は社会改良や普通教育の普及といってますけど、
やっていることは、マイノリティの伝統を踏みにじり、追い立てることではないかしら。
工場での子供の労働は制限されつつあるのは素晴らしいことですが、
それと同じやり方で、すべての多様性を教化しようというんですもの。
法の下に、ね。
そりゃ、伝統を重んじる言語学者や民俗学者は猛抗議するでしょうね。
民族としての伝統やアイデンティティを奪われてまで、国家のシステムに組み込まれることを、
当人たちはどう思うでしょう、という話ですよ。
「啓蒙」ってとても独善的だと思いませんか?
社会進化論ほど危険なものはないと、私も思います。
社会学者のスペンサーはevolutionとしての「進歩」を訴えたのよ。
人間社会は直線的に進化発展するものだと。
だから、
自然科学者のダーウィンが唱えた、生物学としての進化とは別物。
ダーウィンは『種の起源』で、環境に応じてその機能を適応させたものが生存すると論じました。
だから自然の環境が多様な種を生むのだと。
だから、氏の意図した「進化」は、「変化を伴う継承、
つまりは、「自然選択説」ね。
前者のスペンサーの言う社会の改良には痛みが伴って当然ということでしょうか?
それが植民地政策を正当化しているようにしか見えませんけど。
国民国家の病、ですね。これが本当に「進歩」なのかしら。
そういえば、移動住居も、定住化させて、住所を登録させるらしいですね。
いつか一人一人の人間に番号が振られる時代がやってくるかもしれませんわね。
あら、どうしたんですか?変な顔をして。
私なにか変なこと言いました?
あら、おつとめの時間になりました。
そのままどうぞ。
それでは、みなさま本日も足元の悪いなか、
お集まりいただきありがとうございます。
今日は1908年、1月29日です。