上野公園のベンチで出会った喜和子さんが、作家のわたしに「図書館が主人公の小説」を書いて、と持ち掛けてきた。二人の穏やかな交流が始まり、やがて喜和子さんは終戦直後の上野での記憶を語るのだが・・・・・。日本初の国立図書館の物語と、戦後を生きた女性の物語が共鳴しながら紡がれる、紫式部文学賞受賞作。
この本は表紙デザインと幻想的なタイトルに興味惹かれて購入した。
これまたすごい作品に出会ってしまったという読後の感慨に浸っている。
物語は東京・上野公園を舞台にはじまる。
冒頭で作家の「わたし」は、現在上野にある「国際子ども図書館」にライターとして取材に来ていた。
そこで奇抜な格好をした中高年の女性、喜和子さんと出会った。
喜和子さんは非常に図書館を愛していて、「わたし」に国立図書館の歴史を語り始める。
そして彼女は、この話から図書館が語り手となる小説を書いてほしいと言い出すのだった。
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この小説では二つのパートが交互に展開される。
第一に、現代を生きる「わたし」と、不思議な縁で結ばれた奇妙な女性―喜和子さんとの交流の回想。
第二に、タイトルにもなっている「夢見る帝国図書館」というパート。
日本史上初の帝国図書館建設の沿革を、明治維新の時代までさかのぼる過去語り。
読んでいるうち、この第二のパートは作家である「わたし」が、約束どおり執筆した小説の内容ということがわかる。
つまり、この本自体が入れ子構造となっているのだ。
読者は、小説のなかの登場人物の書いた小説を読むという不思議な感覚に陥りながら本を読み進めることになる。
この手の小説は、このブログの管理人である自分の大好物である。
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日本の図書館の歴史は意外に浅い。
時は明治の世。図書館建設のきっかけは、洋行帰りの福沢諭吉が「西洋の都市にはビブリオテーキがある」と言い出したことに端を発する。
曰く「ビブリオテーキ」がないことには近代国家と呼べないのだと。
当時の日本は不平等条約撤廃のために一刻も早く列強の仲間入りを果たす必要があった。
その後、その大いなる計画は度重なる戦争のたびに財政難のためその建設を頓挫させられながらも、文化を思う人々の不屈の熱意により日本初の帝国図書館誕生の道を歩むのだ。
図書館へ通う文豪や哲学者たちの姿もコミカルに描写されていて楽しい。
樋口一葉、和辻哲郎、谷崎潤一郎、芥川龍之介、宮沢賢治、エトセトラ・・・と錚々たる顔ぶれだ。
文豪好きの方には、ぜひともおすすめしたい一冊である。ワクワクしながら読み進めることができた。
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本書の題材である1897年創立の帝国図書館は、施設としては現在の「国際子ども図書館」へと受け継がれている。
旧帝国図書館の組織としての機能は1949年に国立国会図書館へと統合されたのだという。
自分のなかで上野公園といえば、ル・コルビュジエが建設に携わった国立西洋美術館であった。
近年、世界文化遺産の構成遺産として登録されたこちらの建物はさらに新しく、1959年に発足・開館したというのだから、
日本の近代化というのは、ごくごく最近のことなのだなぁと思わずにはいられない。
(まァ、近代化、西欧化が一概にいいことばかりだとも言えないが)
この本を読んで、作者である中島京子さんの図書館、ひいては文化への深い親愛の情を感じた。
これは、この本を読んで改めて確信した私の考えだが、昨今の文系教養修得者がないがしろにされがちな世間の風潮にはやはりどうも納得いかない。
国民へのあまねく文化の浸透なくしては、真の意味で豊かな国とは呼べないと思う。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!(^^♪