印象をただよう告解部屋

キラリと思い浮かんだことあれこれ

数年前の夏の日、不安障害の記憶

何気に日記を読み返していたら、ちょうど数年前の今頃、ひどく体調を崩していたことを思い出しました。
今日はその時のことについて、綴りたいと思います。


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なぜ、今この記事を書くかというと、
当時私には同じ症状を経験したことのある者が少なく、大変心細い思いをしました。
それでも、体調が悪い時期があった、という友人や親族の体験談には、救われました。

もしも、同じような病に悩んでおられる方、経験された方には、少しでも共感を寄せてもらえたら、と思います。
自分だけじゃない、ということを知るだけでも、安心に繋がることがあるかもしれません。

ただし、私自身も思い出すのが少し辛い時期でもあります。
個人差もあるし、デリケートな問題だと思います。

もし、触れたくない、目にしたくないと感じられたら、先を読まないでくださいね。

不安障害発症のきっかけ

大変暑い夏でした。
友人たちと海外に出かけ、出先で気分が悪くなったのがきっかけです。
食べ物が合わなかったのか、その地の空気が合わなかったのか、未だにわかりません。

それでも何とか帰国し、友人たちの支えのおかげで、楽しい思い出をつくることができました。

しかし、そこからまる一年ほど、何となく体調が悪く、眩暈・食欲減退・吐き気に悩まされました。特におなかの調子は常に心配でした。
そのせいで、いつ気分が悪くなるか、という不安障害も患ってしまいました。

ただでさえも、少食で、夏バテに悩まされることが多い体質です。

私の場合、以下の症状に悩まされました。

広場恐怖。だだっ広い場所に恐怖を感じる症状。(ライブ会場、大学の講堂など)
これは、気分が悪くなった時に、逃げる場所がない不安からきていました。

嘔吐恐怖。これは食事後、気分が悪くなり吐いてしまうことを予期し、恐怖を感じる症状。
このせいで、家族や理解者以外との外食ができなくなりました。

日常に立ちはだかる壁

就職活動

困っていたのが、当時私は大学4年生だったことです。

就職活動は、ストレス性の眩暈に苦しみながらも無事に終えました。
もともと、三半規管系が弱いのです。

最終面接など、緊張どころか不安障害のせいである意味、開き直っていました(;^ω^)

変なところポジティブなのです…
この100パーセントでないモチベーションの自分を過小評価するなら、もう知らん!みたいな。

その甲斐もあり(?)、今のお勤め先があるという感じです。

卒業論文の報告会

ですが、第二関門として、卒業に欠かせない卒業論文の中間報告会、というのがありまして。

200人以上収容できる講堂で、マイクを持って、モニターに資料を映し出し、質疑応答するというものでした。

このとき、広場恐怖が発症して、言葉が出なくなるのではないか、気分が悪くなってしまったらどうしよう、
という予期不安に駆られ、一か月前から日々不安に押しつぶされそうになっていました。

当時、嘔吐恐怖が最高潮に達していて、ビニール袋が手放せませんでした。
(ちなみに、この時期に実際に嘔吐したことはありません)

当日は何事もなく終わりました。膨大な量の悪い想像が先行しすぎていて、済んでみれば呆気ないものでした。
直前までは、何も喉を通らず、青い顔をしていたのですが…

同様に、所属していた音楽サークルのコンサートの舞台も、執念で乗り切りました。
こちらも終わってみると何ともありませんでした。

ですが、快復の兆しはまだまだ見られませんでした。
電車に乗るのも、タクシーに乗るのも、びくびくしながらでした。

このような、イベント事のときも、周囲に心配かけるのが嫌で黙っていることが多かったです。

最寄りの精神病院へ

この不調が精神的なものなのかイマイチ確信が持てなかったので、まずはかかりつけの地元の病院に行きました。

食欲不振と胃のむかつきに関しては、胃腸炎のようなものかとも思ったので。

しかし、検査の結果、異常はありませんでした。
下痢止めは出してもらいましたが、一時的に治るものの改善は見られませんでした。

その後、いい先生のいるという別の病院の精神科を予約しました。

症状を伝え、カウンセリングを受けると、不安障害の症状だと診断されました。

薬を出すかと聞かれましたが、副作用で吐き気があると言われたので、見送りました。

その吐き気の恐怖に悩まされてましたから(^^;

でも、心は少しすっきりしました。

自分の症状を医学的に理解してもらえている、というのが安心に繋がったようです。

この頃から、少しずつ発作を受け止めて、上手く逃げるコツがわかってきました。

「あ、くるな…」という前兆がわかってきたのです。
ある拍子に不安に陥ると、
脂汗が出て、パニックになって過呼吸のような状態になります。

もう、一生付き合っていくしかないな、という一種の諦めがつき、共存を覚悟しました。

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心の支え

それでも、逃げ出せないシチュエーションのときは、前日に不安で泣きました。

バイトで数時間一人で店頭に立つ日、内定式、会社の研修…

今思えば、よく乗り越えたなぁと思います。

気休めに「救心」の錠剤を携帯していたっけ。

そんなときに支えだったのは、家族と友人、そして当時お付き合いしていた方の存在です。

症状を伝えて、理解してもらえているだけで、心はかなり楽でした。
外出先で、発作があってもこちらが気を使わずに済むように、配慮してくれていました。

食事の場で紅茶しか飲んでいなくても、何も言わないでいてくれるのは本当にありがたいことでした。

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本当に外食先では紅茶ばかり飲んでました。


過剰に心配されると、こちらも気を使いすぎて余計にパニックを起こすことが多かったので。

このとき、やはり自分は一人では生きていけない人間なのだなぁとひしひしと感じました。

少しずつ、症状とのつきあい方が分かってきて、体調面に自信を持てるようになってきました。

今では、普通に働いています。
今のところ食堂で同期とご飯を食べることもできますし、飲み会にも参加できるようになりました。

ですが、少食だということ、あまりお酒が強くないことを先にそれとなく伝えるようにしています。

食事を残すと気分を害されるかたもいますが、そこは割りきって気に留めないことにしています。

全部食べなければ、とか盛り上がってる途中で帰れない、などというプレッシャーをなくすことが自分にとって何よりの薬なのです。

それでもノリが悪い、付き合いが悪いなどという人はいません。
代わりに、その場のお話を楽しめばいいだけです。

多少自分ルールを貫いても楽しめます。
自分を守ることも、そのコミュニティで長続きするコツだと気づきました。


おわりに

心の赴くままに沢山書いてしまいました。

まだ少し怖かったのもあり、あまり思い返すことがなかった記憶です。

ですが、過去の出来事を整理するいい機会でした。

経験したことのない不安に明け暮れた日々でしたが、人生まだまだ色々あるのだなぁと感じさせられます。

この経験を通して何か伝えたいとか、大層なことは何も言えません。

とにかく、たまたま日記を読んで、思うところがあった今日という日に書きたかった。

拙く、とりとめのない文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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