あけましておめでとうございます、Clariceです。
去年はラジオ(という名の動画)や、作曲やら弾き語りが多くを占めていました。
ほぼ右脳しか使ってなかったといっても過言ではありません。
今年はじっくりと文章を書きたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ひとまず、去年中に書こうと思っていたエッセイを投稿いたしました。
第3話 イン・ザ・フォグ - インプレッション・オブ・ウォーター(蒼乃モネ) - カクヨム
去年の12月箱根のポーラ美術館を訪れたときのことです。
例の如く、当館所蔵のモネの「睡蓮」を見に行ったのですが、特別展のピカソの絵のほうが印象深く、そちらを題材にエッセイを書きました。
なぜというに、当館の「睡蓮」は以前、観たことがあったらしいのです。
初めて観た感動は得られませんでした。
きっと巡回展で、観たのでしょう。
十二分にあり得ることです。
だから、こちらの「睡蓮」を観た時の感慨は、再会のような安堵感でした。
当然、所蔵館での鑑賞が、本来あるべき姿として我が目には映り、しっくりきておりました。
はるばる観に来る価値はありました。
「睡蓮」(1907)
1907年は「睡蓮」の当たり年といわれています。
前回記事におこしたイスラエル博物館所蔵の作品と同じ年に書かれているため、構図に共通点があるように思われます。
透き通るような水の色彩が磨き抜かれていて、素晴らしいと感じました。
↓
lavandula-pinnata.hatenablog.com
「睡蓮の池」(1899)
今回、不思議な気分に陥ったのは間違いなく濃霧のせいでした。
このとき世界は恐ろしく神秘的で、無事に帰れるのかという不安が、終盤にさしかかっていた旅の疲労とともにのしかかってきました。
閉館間近に迫ったそのとき、このまま視界がホワイトアウトするのとちがうかと諦め半分に話していました。
(吹雪ではないので、そんなことは起こりえないでしょうけど)
私は延泊の手配を始めかけていました。
しかし、霧は箱根の名物とも言える、ある意味日常的な気象現象であると情報を得たのです。
今回の旅の仲間だった、北陸地方、雪国出身のモノリスちゃんはけろりとして、慣れたものでした。
地元のバスは所定の時刻より少々遅れはしたもののやってきたため、最大限の警戒をしながらもスケジュール通り帰りました。
私が旅行でツアーを避ける理由は、こういう点につきます。
旅でたびたび遭遇する危険や体調不良を、旅行会社のスケジュール管理に委ねたくなく、自分たちで相談して行き先を決めたいのです。
外は霧で真っ白で、館内からガラスを通して見ると真っ青でした。
青の時代に閉じ込められたような錯覚に陥りました。
そのとき、美術鑑賞というのは、展示のシチュエーションが観るものの感性に影響を与えるのだと確信しました。
あのピカソの青の時代は、ー「海辺の母子像」は、私の中ではその神秘的な体験と切り離せそうにないのです。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!(^^♪
こちらの写真はすべて、館が撮影を許可する作品のみです。