今回はちょっと長めの雑談です。
紅茶かコーヒーのお供にどうぞ。
話や主張があちらこちらに逸れるのはご愛嬌。
いつものことなので大目に見てください。
はじめに
私は、素朴でいたってシンプルなファッションに、ロングヘア―の女性に憧れる。
同性でもついつい目で追ってしまう。
つややかな髪をなびかせ、姿勢よく颯爽と歩く女性の姿は美しい。
西洋東洋問わず、美人像として描かれるモデルは流れるような豊かな髪をたたえていることが多い。
リボンで結わえられた柔らかなブリュネット、太陽の光に透ける亜麻色の髪、肩に流れ落ちる艶やかな漆黒..
ヘアスタイルの話から唐突に始まったが、
外見に限らず「美のアイコン」としての時代を超える美しさ、というものは確かに存在する、と考える。
私はそれに非常に興味がある。
20代女性の間では、流行というものからはある程度逃れられない。
同時代を生きる人々が共有する価値観を無視して時代錯誤なことに固執することは、
ときに社会からはじかれることになりうる。
しかし、大衆に影響を持つ有名人が何かの価値観を広めたなら、
その時代錯誤さえも、巻き起こる波に乗り市民権を得、流されやすい性分の人々はこぞって熱狂するのだ。
最近では、大手企業の商業戦略が絡んでますます厄介だ。
ファッション・コスメなど美容系の市場に著しい。
すぐに呼びやすくキャッチ―な名称を付け、SNSでインフルエンサーに無償提供し、レビューさせる。
彼女らはイメージガールにでもなったように、好評を語り、様々なツールで配信するだろう。
その移り変わりの、早いこと早いこと。
それらのなかから、自分に必要なものを取捨選択し、カスタマイズする。
自身、各種ブランドのコスメリサーチは大好きで趣味の一つともいえるが。
楽しいといえば楽しいが..
急に虚無に襲われることはある。
何より湯水のようにお金を使うことになる。
情報化社会の渦で、搾取され続けている気がしてくる。
その仕組みに気づいている人は幸いだと思う。
現代人の多くは、表面をただただ飾ることに夢中になってはいまいか。
ようするに、使い捨て感覚なんだ。
自分の中にしっかりとあるべき美徳というものが欠落しているように思う。
ファッションを自由に選択することができるようになって以来、個性の表出であるはずのそれが、いつの間にかテンプレ化しているといえる。
これは安価な大量生産品を売るブランドや、人気アイテムのランキングを載せた通販サイトが一役買っている気がするが...
私は、生地から選び、オーダーメイドの着物や洋服を修繕しながら大切に着る時代を知らないが、祖母はそのことをよく懐かしんでいる。
本当の美しさは、時代を超えても耐えうるものだといえる。
到達するには、自分を磨くしかない。
ただし、自分ひとりと向き合いながら。誰かを目標とすることは大事なことだが、多くに流されるのは違うと思う。
積み重ねた経験や思いの数は人によって同じということはなく、まったくの別ものだから。
例えば、デヴィ夫人はそれを見事にやってのけた一人だと思う。
戦時中、貧しい家庭に生まれ育った片田舎のホステスは、家族を助けながら、持って生まれた美貌だけでは到達できない域にのぼりつめた。
教養、語学力、モラル、社交性に磨きをかけ、計り知れない努力と苦労を味わった女性だ。
最後に
女性の本当の美しさは、
「芯の強さ」 と「優しさ」にすべて起因すると思うのだ。
そうして、
そのような本来の美というものが、どの世代にも評価される時代になってほしいと思う今日この頃である。
では、また。