冬のあいだ眠り続ける宿命をもつ<冬眠者>たち。ある冬の日、一人眠りから覚めてしまった少女がであったのは、「定め」を忘れたゴーストでー『閑日』/ 秋、冬眠者の冬の館の棟開きの日。人形を届けにきた荷運びと使用人、冬眠者、ゴーストが絡み合い、引き起こされた騒動の顛末ー『竈の秋』/ イメージが紡ぐ、冬眠者と人形と、春の目覚めの物語。不世出の幻想小説家が20年の沈黙を破り、発表した連作長編小説。補筆改訂版。
今回の記事でも
前回の「『歪み真珠』を読んで」の記事を踏まえ、懲りずに山尾悠子ワールドを紹介したい。
読むのが前後してしまった短編集『ラピスラズリ』(2012)は、山尾悠子 著『歪み真珠』(2019)の前作である。
今回も読了までにずいぶん難航した。
でも、大好きな幻想の世界観にとっぷりと浸ることができた。
冬眠者の一族、冬の館、人形狂いの奥方、ゴースト、疫病、召使いの反乱、、
こうやって物語のキーワードを並べるだけで、宝石商にでもなったかのような気分になる。
しかし、少々不気味な場面も多いと感じた。
特に、召使いの反乱。
自分達の主である冬眠者たちを木の車に乗せ、担ぎ出し、深い眠りに落ちている彼らを落ち葉に埋めてしまう!!
次に召使い達は、主人達の豪華な服に着替え、冬を越す館の寝床に潜り込むのだ。
そうして冬が終わり、
枯れ葉の山から起き出した冬眠者らは、再び自分達の館を目指し、居場所をなくした彼らは…
もう幾度も繰り返し、遠い記憶を辿っても、自分達がどちら側だったのかも忘れてしまう。
これは第一話の「銅板」のなかの
画廊に飾られた銅板の絵に始まる、
鑑賞者の想像とも、そうでないともいえる。
だって第二話から、その館を舞台にした物語が幕を開けるのだから。
そして、
この書籍のタイトルでもある最終話「青金石」にはアッシジの聖フランチェスコが登場する。
神の呪いを受けている、と周囲から忌み嫌われた冬眠者の特徴を持った青年が、
フランチェスコと接触するのだ。
途端に、白昼夢のようだった物語が、歴史の時間軸に位置付けられた、気がした。
やはり、冬眠者たちは生きていると。
迷路のような美しい物語のなかで突如、実在するフランチェスコさんが出てきたのは、古い知り合いと再会したようで懐かしく、嬉しかった。
なぜだか偶然、最近読む何冊かの本にたびたび出てくることで、私が勝手に馴染み深くなっていたのだ。
彼は、徹底した清貧を強いる中世教会の精神がはびこるなか、慈悲深い神の愛を説き、その一派はフランチェスコ会として認められ、「生きた聖遺骨」として聖人に列挙された。
またいつか私が思い描く彼の像についての記事も書きたいと思う。
あ、あれ?いつの間にか歴史トークになってる…