先日、大学時代のゼミの友人とお世話になった教授とご飯に行った。
友人は、学生時代一緒にマルタを旅行したアイリスちゃん。
彼女は会社を辞め、大学院試験を受け、卒業研究の続きに取り掛かるのだ。
待ち合わせより早めに着き、久しぶりに大学内を歩いた。
あんなに毎日通っていたというのに、数年経つと建物はちょっと余所余所しい気もする。
しかし、この静寂。この空気。
無事に「帰ってきた」感じがして安心した。
社会に出たら自分の意識も変わるものかと思ったが、驚くほどいつまで経っても学生気分が抜けない。
きっとこの先も、自分はこんなものなのだろう。
いつまでたっても好奇心の潰えぬ、お子様だ。
◇
合流。
先生変わってなかった。
アイリスちゃんは月一くらいで会ってたから、変わらず。
彼女のお勤め先が変わったくらい。
積もる話があって、仕事の話を聞いてもらえて嬉しかった。
価値観とか視点が近いから、本当に心地いい。
実家のような安心感とはまさにこのことだ。
先生の話とアイリスちゃんの話は本当に為になるし面白い。
全部すとんと入ってくる。
それから、あなたたちは優秀だったと何度も言ってもらえて嬉しかった。
私は優秀な周りのオマケだけどね笑
私個人に向けては、あなたは前から根性ありましたよねと仰った。
なんとか企業に就職して、頑張って良かったなぁと過去の自分も報われた感じがした。
◇
兎にも角にも、安心したナァ。
移り変わる世情のなかでも軸のぶれない価値観って、たぶん歴史研究に浸かるなかで培われたものだと思う。
先生はもちろん、当時の学友たちと会うと、せわしない日常とはちょっと違う時間が流れている、気がする。
私ははじめ大学院に行きたかったが、気がつけばその選択肢は消えていた。
研究一筋でやっていく覚悟がなかったのだ。
学芸員になりたかったが、研修行って資格だけ取って、フツーに民間企業に就職を決めた。
今でもこの道で本当に良かったのだろうか、今の自分は妥協で生きてるのと違うかと思いそうになるけど、まぁ何だかんだ落ち着いている。
仕事も嫌なことたくさんだけど、続いているということはそれなりにそれなりだということだろう。
話を聞いてもらううちに、そんなことに気付けた。
自分の道をちゃんと切り拓いていく友達の話を聞いたら焦るかなぁとか思ったのは完全に杞憂だったのだ!
逆に、何で自分はここ数年こんなに焦ってきたのだろうと思った。
最近は、惰性でだらだらと働いていて駄目だなぁとさえ思っていたのだから。
そんな考えにいったんブレーキがかかった感じ。
まだまだ長いのだから、もう少し長い目で見てゆっくり頑張ろうと思った。
これから数年はじっくり、自分と相談する時間を大事にしたいと思う。
いろんなことごとに一区切り。
しっかりとひとりの時間をつくるのだ。
会社の仕事は、まぁぼちぼちでいいよ。
入社してから、ちょっと己に鞭打ちすぎた気がする(´⊙ω⊙`)!
いい加減も大事ですよと先生は仰った。
最近の若い人は、ものすごく頑張っていくことを強いられますからと。
昔の世代は、もっといい加減でもよかったのです。
ですって。
そういうふうに寄り添ってくださる先生の人間力こそ、そこにシビれる憧れるのです。
とにかくこうして帰ってこられる場所があって良かったと思う。
大学時代の思い出は、いつまでも心の拠り所になり続けるはずだ。
◇
世界の都市で、行きたいところいっぱいありますねという話にもなった。
イギリスの田舎がいいですよ、とか。トルコのイスタンブルは住み良いよ、とか。
大西洋からカナダの川を抜けて五大湖へ至るツアーがあるのだとか。
ローマは実際ものすごくばっちいよ、とか笑
語学、頑張りたいなぁ。。
勉強はずっとしていくといいですね、と言ってもらった。
私はついついお誘いを待ってしまう性分だから、もっと自分から連絡する習慣を身に着けようと思う。
思い立った時に連絡して、たまにはやはり会いたい人と会ったほうがいい。
コロナで止まっていた時が、少しずつ溶け出している感じがして、はやくすべて元通りにと願わずにはいられない。
これは別の日に海辺で撮った、雨上がりの夕焼け。