ジプシーと呼ばれる人々のことを知っていますか?
彼らは定住せず、音楽や占いを生業とした流浪の単一民族というイメージで語られることが多いのではないでしょうか。
特に、19世紀ごろの西洋文学や演劇、音楽に多く登場します。
『ノートルダムの鐘』のエスメラルダ、『カルメン』、『アレコ』のゼムフィーラ、『ジプシー男爵』のザッフィ…
ジプシーとは、「エジプトから来た人」という古代の人々間の曖昧な伝承による語源のため、蔑称とされています。
現在では、彼らの言葉ーロマニ語で、一人称の「男性」を意味する、「ロマ」と呼ばれ、記載されることが推奨されているのです。
ただし、ここでは現代の我々日本人のなかにある共通イメージとしての「ジプシーの人々」を取り上げたいので、彼らをそう呼ぶことをお許しください。
国際ニュースや旅行記で、このジプシーについて書かれていることといえば、社会問題を想起させることが多いです。
貧困、乞食、盗人、不法占拠…
しかし、音楽面では素晴らしい才能を称えられます。
あのフラメンコも、ジプシーの音楽に由来すると言われています。
さて、現在のようなジプシー像はどのように形成されたのでしょうか。
これから、数回の記事にわたり、素人ながらイメージ形成の歴史に迫る試みをしたいと思います。
どうしてジプシーは謎多き民族なのか
15世紀以降ヨーロッパ各地で、ジプシーらしき集団の記録がはっきりと確認されてきました。
ジプシーがどこからきたのか、つまり「同じロマニ語を話す単一民族」と意識されながらも、民族としての起源が謎に包まれており、様々な議論を呼んだのはなぜでしょうか。
ジプシーは文字を持たない文化を有していました。
そのため、記録はもっぱら外部の人間によるフィールドワークの産物でした。
ジプシーたちは、コミュニティ外の人々のことをロマニ語で「ゴールジョ」と呼び、交流を避けたのです。
そのため、外部の文化に淘汰されることなく独自の生活様式や習慣が守られ続けてきたのだと言えましょう。
特に、19世紀後半に学者や著述家らの間でジプシーへの関心が広まりました。
その興味は、芸術家や西欧社会にも波及します。
当時の産業革命の時代に疲弊した人々は、非文明的―すなわち自然に生きる放浪民族に憧れを重ねたのではないでしょうか。
そのため、西欧社会にとって「理想的なジプシー像」の需要が増えたと考えられます。
それは、情熱的で野生的な美しい女性の姿であったり、哀愁漂うノスタルジックなヴァイオリンの旋律であったりしたのです。
西欧社会は、同じ街の身近にいる浮浪者や盗賊のジプシーを激しく嫌悪しながらも、それらの美しく素朴なイメージを違和感なく受け入れたのでした。
(続く)
◇さらに興味のある方へ、日本語で読めるおすすめ図書◇
フレーザー、A.『ジプシー 民族の歴史と文』訳:水谷 驍(2002)
水谷 驍『ジプシー史再考』(2018)
相沢久『ジプシー 漂泊の民』(1980)
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今日も読んでくださりありがとうございました!(^^♪