ジプシーといえば、どのような印象を持ちますか?
文学から得たイメージのみで語ると、
複数の大家族で馬車に住み、移動しながら音楽や占いを生業とする人々…
固有の言語・文化を共有しながら、ヨーロッパ各地に散らばっているひとつの民族、という印象があります。
果たして、そのようなロマンティックなイメージは誰からどのように発生したのでしょうか。
非ジプシーによって作られた、ジプシーの歴史とイメージ形成をたどる試みの第二弾です。
今回は、ジプシーの起源説について、どのように語られてきたのかを綴りたいと思います。
ちなみにこのブログの筆者は、文化人類学の専門家ではありませんので、これはあくまで文献や史料から得た情報の紹介の一部にすぎないことをご了承くださいませ。
ジプシーの起源説について
旧約聖書の呪われしカインの末裔として
旧約聖書において、アダムとイヴの息子たちである、弟アベルを殺した兄カインの話が出てきます。
その結果、カインは神により、追放の宣告を受け、「汝は地に彷徨う流離人(さすらいびと)となるべし」と告げられるのです。
地を彷徨うジプシーの起源はここにある、と長く信仰者たちや宗教家、アーリア優性論者(WWⅡ前のナチスの狂信者)たちによって語られました*1。
ジプシーと呼ばれた人々には、このような身勝手な主張が生んだ、人種差別による悲劇的な歴史があります。
科学的に解明された?インド起源説
ヨーロッパじゅうに散在するジプシーは、同じ外見的特徴・生活様式・習慣・言語をもつ単一民族である。
そして、もともとは、インドの不可触選民出身の一つの民族である。
このようなことをはじめに公表したのは、ハインリヒ・グレルマン(1753-1804)です。
ジプシーから収集した(とされる)語彙リストによって、比較言語学的に主張しました。
文化人類学のような手法が主流でなかった当時、これは科学的立証であると、考えられました。
この主張は、当時のアカデミズムや警察には高く評価されましたが、後世では語彙リスト自体が主観的で恣意的であると疑問視されるようになりました。
20世紀にはいると、欧米では「ジプシー」という存在を社会問題や政治問題として取り上げることが多くなり、現実の問題として意識されるようになります。
それまでは、これらのような宗教家やグレルマンの偏ったインド起源説が根強く影響力を持っていました。
さて、今回はこんなところで。
次回は、19世紀から爆発的に流行したロマン主義的に脚色されたジプシー像形成の経緯について書こうと思います。
◇さらに興味のある方へ、日本語で読めるおすすめ図書◇
フレーザー、A.『ジプシー 民族の歴史と文』訳:水谷 驍(2002)
水谷 驍『ジプシー史再考』(2018)
相沢久『ジプシー 漂泊の民』(1980)
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今日も読んでくださりありがとうございました!(^^♪
*1:『図説ジプシー』(2012)関口義人