印象をただよう告解部屋

キラリと思い浮かんだことあれこれ

印象派画家クロード・モネのドラマチックな生涯

はじめに

印象派」と呼ばれる画家たちの色彩豊かな絵画は、日本人にとって馴染みが深く、最も人気の高い絵なのではないでしょうか。


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以前、クロード・モネの「印象・日の出」を目玉作品とした巡回展を訪れたことがありますが、テーマパーク並みの恐ろしい列ができていました。

印象派といえば
ルノワールピサロドガ、モリゾ、
そして、ポスト印象派ゴッホセザンヌ、スーラと豪華絢爛なビッグ・ネームのオンパレードです。


このブログでは、歴女の目線で印象派画家の人物像や生涯に焦点を当てて紹介していきたいと思います。
今回は、私が最も好きなクロード・モネ(1840-1926)について綴ります。

下積み時代

印象派」と呼ばれた絵描き集団となる画家たちは、1862年に同じ画塾で知り合い、以後グループ内で盛んに交流しながら絵を描きました。


なかでも、ルノワールとモネは仲が良く、ともにキャンバスを並べながら、野外で制作にいそしんでいたといいます。


当時、なかなかアカデミーの主催するサロンを通して、世間に認められなかったため、時に励まし、お互いを批評しながら、切磋琢磨していたのです。


特にモネの経済事情は壮絶だったと言います。
絵はいっこうに売れず、
比較的裕福だった画塾時代の仲間、ジャン・バジールに困窮を極めた現状を訴える手紙を何度もよこすほどでした。

生活の激変

そんななか、
モデルで恋人のカミーユが身籠り、第一子が誕生しました。
この頃、モネは戸外で妻と子供をモデルにした絵を描いています。

しかし、
なんとモネのパトロンで百貨店を営むエルネスト・オシュデが破産し、その家族が転がり込んできます。


極貧状態での、2世帯での生活。
モネの妻カミーユと、その子供2人
エルネストの妻アリスと、その子供6人


その後、エルネストは家族をモネ家に住まわせたまま帰りませんでした。


エルネストに見捨てられたアリスはその頃、病に臥せっていたカミーユを助け、2世帯の大家族となった一家の世話をすることに。


(このエピソードは、原田マハさんの『ジヴェルニーの食卓』でも取り上げられています。
当時のモネの生活を、史料と想像力から短編物語に仕立てておられて、リアリティがあり面白かったです。)


その後、アリスの看病も虚しくカミーユは失くなってしまいます。


そして、家賃滞納による何度かの転居の後、
ジヴェルニーに一家で移り住みます。
今ではモネ自作の睡蓮の庭があることで有名なあの屋敷です。
この頃からモネの画家業も軌道にのってきます。
そのきっかけとして、1891年の個展「積み藁」で成功を掴みました。


その翌年には、モネは長年献身的にモネと子供たちを支えてくれたアリス・オシュデと正式な結婚に踏み切ります。


後には、アリスの娘ブランシュとモネの息子ジャンも長年苦楽をともにしてきた理解者同士として結婚しました。

晩年

時は過ぎ、息子のジャン、そして
駆け出しの頃から切磋琢磨しあった画家仲間が次々とこの世を去ってしまいます。
そして、
72歳のモネは白内障を患い、戸外での制作を医者から止められるようになりました。

この頃、モネの絵は大変な人気を博していました。
そして、
当時モネの数少ない交流者であった、
フランス元首相のジョルジュ・クレマンソーに「睡蓮」の絵を仕上げた暁には国家へ寄贈してほしいという話を持ちかけられます。


モネは二度にわたる白内障手術の後
再び視力を取り戻し、「睡蓮」の大壁画を完成させ、1926年に86歳でこの世を去りました。



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おわりに

いかがでしたか。
私、初めてモネの生涯を知ったときは感動しました。
こんな苦労の味を経験しながら、
あんな光に満ちた絵が描けるのか、と。

モネら印象派画家の持つ
どれだけ誹謗中傷されても自分達の道を追及する信念。
そこには(ドガなど考え方の違いから一部決裂しながらも)支え合える仲間の絆があった。

だからこそ描けたのかもしれません。
そして、生前に絵が認められ、名声を得られたのも喜ばしいことです。
没後にようやく実る画家も多くいますから…


私は美術は好きですが
自分が描くのは、からきしだめですし
上手い下手を見分けるほどの審美眼もありません。

しかし、
その絵の描かれた時代背景や、
同時代の人物同士の交流に目を向けながら絵の描かれた環境に想いを馳せるのが本当に好きです。
こんな楽しみ方も、ありかなと思います。

今は、画家シャルル=フランソワ・ドービニーに関心があります。
バルビゾン派から印象派をつなぐ存在となった水辺を描く画家です。
戸外で絵を描くために、船まで自作したとか。

ドービニー展を見てから意識しはじめ、何度か違う展覧会でも見かけるように。

モネも彼を好きだったみたいですし、どんな影響があるのかも気になります。
またいつか記事が描けたらいいなと思います。

では、また。

参考文献

・杉全美帆子「イラストで読む印象派の画家たち」河出書房新社(2013)

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