印象をただよう告解部屋

キラリと思い浮かんだことあれこれ

Impressionism

こんばんは、Clariceです。


わたくし、少々疲れてくると、決まって頭を空っぽにしたくなります。

その頭を空っぽにした状態が「印象をただよう」という状態です。造語です。

しかしながら、厳密にいうと本当に「頭を空っぽ」にしているわけではありません。

というよりは、いらない情報をいったんすべて失くして、脱力して自由に思考するということです。

なにも制約はありません。

なお、浮かんだイメージや言葉をノートに書きとめたり、PCのメモ帳機能等で文字にすると、よりよい効果が期待できます。


私めは世界史という分野が好きなのです。

そう言うと(滅多に外で言う機会はないけど)たいがい、誰が好きなの?どの時代が好きなの?どの国が好きなのかと訊かれます。

しかし、あまりうまく説明できたためしがありません。

そういう流れになったときは大抵、ルネサンスとか産業革命とかフランス革命とかの用語を並べ、時代の転換期だと言うと納得してもらえることが多いです。

自分から広げた話題だというのに、一応会話が成立して終わったことにいつも非常にほっとします。


ここではすでに周知のことかもしれませんが、自分は19世紀の混沌としたヨーロッパの世情が好きなんです。

このあたりの時代に描かれた絵画作品を観ていてもそうですが、今の我々と感覚が似ているように感じるのです。


急速な都市文化の発展、過去への憧憬、ノスタルジア


でも、その情景は「人間が自然のなかで自由だった頃」を夢見る当時の人々によって誇張され、創造されたものなんです。

しかし、人々の間に不思議と通じている映像です。

自然への郷愁は、都市的なものへの嫌悪、あるいは退屈であろうか。このころの時代は、著しく近代化が進み、大衆文化が花ひらいていた。あらゆるものが、腐敗寸前まで爛熟した、まさに黄金の時代だった。

こちらは、印象派画家たちのインスピレーションの主水源ともいえるバルビゾン派、コローの描く世界。



ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
モルトフォンテーヌの思い出』Souvenir de Mortefontaine(1864)

原風景というものは、まさしくイデアであろう。アルカディアであり、シャングリラであり、桃源郷であり、パラディーソである。心象風景である。どこか遠くに置き忘れてきた、印象である。


文章引用元:自作エッセイ「インプレッション・オブ・ウォーター」より




今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!(^^♪
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