ようやく、すこぅし霧が晴れたような気分。
仕事、まだまだ忙しいんだけど、ようやくその忙しさにも慣れてきた。
新しく覚えたメカも使いこなせるようになってきた。
この厄介なメカ。何人もの同僚を泣かせてきた。
同僚は、こいつのせいで年末は毎夜日付が変わるギリギリまで帰れなかったんだ。
一応技術職だから、このメカたちと仲良くできるかってのも、ストレスを左右するのだ。
PC操作は、まぁ、あいかわらずあんまり得意じゃない。
こないだは、macで咄嗟にスクショできなくて、上司は呆れていた。
我々の部署が若い人まみれなのは、次から次へと搭載されるシステムに順応できるかが勝負だからなんですと。
私みたいな時代錯誤人間もいるから、それはあんまり関係ないと思うけどね。
機械に慣れないうちは、もうこちらが機械さまの手足となるようなもんなんだ。
アラート、エラー、バグ。
どこからでもピーピーと呼び出してくる。そばを離れられない手のかかるやつ。
でも、すべてのイレギュラーをクリアすると、どんな馬でも乗りこなせるようになってくる。
そうなれば、メカは我々人間の手足となるのだ。なるのだ!
私は懐古厨だし、自他とも認めるアナログ派だが、こういうことを知れてよかったよかった。
まぁ私はロボットものアニメが好きだし、操作に入るときはパイロットになった気分で己を奮い立たせている。
◇
そうそう、コレについて書くんだった。
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はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと」
プライベートでは、祖父祖母大叔母が一斉にガラケーからスマホに移行したのだが、こちらも大騒ぎである。
でも、スマホという未知のタッチパネルに怯える祖父母大叔母よりも、教える側の教え方が気になる。
教育指導は、仕事でずっとやってるからなぁ。
スマホにしろPC操作にしろ、
「このボタン押せばコレができるよ」
だけでは、応用が利かないし、万一そのショートカットをゴミ箱にでも入れてしまえば、壊した!どうしようってなるのは必定。
このボタンはこういう機能だからこの形のマークなんだよ。ってとこから、階層とか仕組みの方を図解でもして教えなければね。
こういう基礎とか枠組みとか理由とかをはじめにきっちり教えるのは、メカの操作だけじゃないんだよなぁ。
「なんでどうして」に応えられなかったら、きちんと理解できてないってことだから、次教えた人もわからないまま進めてしまうんだ。
「こういうもんだから、だよ」なんて。
特に自信のない人は、「あ、それ自分も思ってた。ほんとヘンだよね~あはは」とか言う。
10年前といえば、自分は思春期まっさかり。
なんで勉強はしなくちゃならないの?なんで夜は早く寝なくちゃならないの?
なんで本を読んだほうがいいの?なんでお行儀よくしなきゃならないの?
まだまだ続く。なんで将来使いもしない公式を覚えるのですか?なんで年号を暗記するのですか。古文漢文をやるのですか。
以上のあるある質問は私なりにぼんやりと答えを見つけたから、まぁ説明する状況となれば、試みるだろう。
逆に、答えが自分の中で見つからないor納得していない項目に関しては、自分でも緩い。
私の倫理観はそのへん本当に、無法地帯である。
◇
子供のころ私は、「まーた、なんでなんで病がはじまった」といわれていた。
でも、大人になってもこういう気持ちは忘れずに、なんでどうしてに応えられるように生きていきたいと思う。
恩田陸さんのエッセイで、読んだフレーズ。
なにしろ、教養というものが消滅したと言われて久しい。
(中略)
水は低きに流れる。
かくて、ぎりぎり矜持を保っていたはずの大人たちも、しょせん自分たちの教養がハリボテだったことを認めてしまい、ウンウン、教養なんてウザイよね、と頷いてしまった。
『土曜日は灰色の馬』ちくま文庫(2020)より
私は教養と知識の力だけは子供の頃から直感的に、信じている。絶対に裏切らないし、いいことがある。
それらはただ、ため込むだけじゃなくて積極的に使って、知恵にする必要があると思う。
人間は機械仕掛けじゃなくて、自分で考える生き物だからね。
昨今、急速なスピードで我々は、機械のシステムに追いつかれつつある。
だから、なおさらこういうことって、人間らしく生きるうえで、とても重要なことじゃないかなぁと思ったりする。
機械に「なんで言うこと聞いてくれないの」ってなったら、もう終わりだと思ってる。
そのうち機械は言いだすだろうね。「オペレーターヲ変更シテクダサイ」ってね。
私は自称「社畜」だが、機械に隷属する気はさらさらない。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!(^^♪