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ボルジア一族は情欲と背徳に溺れていたのか?—塩野七生『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』感想

塩野七生チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷新潮文庫(1982)

時はルネサンス期。大小の都市国家が群雄割拠するイタリア半島の地で、その統一を果たそうとする男チェーザレ・ボルジア(1475-1507)の生きざまを描いた歴史小説

十五世紀末イタリア。群立する都市国家を統一し、自らの王国とする野望を抱いた一人の若者がいた。その名はチェーザレ・ボルジア。法王の庶子として協会勢力を操り、政略結婚によって得たフランス王の援助を背景に、ヨーロッパを騒乱の渦に巻き込んだ。目的のためなら手段を択ばず、ルネサンス期を生き急ぐように駆け抜けた青春は、いかなる結末を見たのか。塩野文学初期の傑作。

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ボルジアと言えば「ボルジア家の毒薬」などの映画の印象が根強く、チェーザレといえば悪役、というのが世間一般のイメージなのではないか。

ボルジア家は、法王の親族と言う立場を利用して、毒薬<カンタレラ>を用い邪魔者を排除し続けた冷徹非道な一族だと。

実際、チェーザレと、彼の妹である美女ルクレツィアとの兄弟間のスキャンダラスな噂は、当時から今まで絶えることはない。

美人の妹への嫉妬に狂ったチェーザレ像は19世紀フランスのロマン主義者のあいだではじまり、今日までずいぶんともてはやされたそうな。


しかし、『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で描かれるチェーザレは、ローマ法王庶子という特殊な立場にありながら、リアリスティックな精神をもち、神をも恐れない合理性にもとづいた人間として描かれる。


チェーザレの父にあたる、法王アレッサンドロ6世(1431-1503)は親族主義的であり、チェーザレに愛情を注いだ。

だが、チェーザレは、妻帯禁止であるはずの法王の庶子という忌むべき「悪魔の子」として生を受けながら、父の後ろ盾により枢機卿になるという異例の待遇を受ける。しかし彼はそれだけで満足しない野心家だった。

僧の出であることから、一兵も持たなかった彼が自軍を集めるため、政略結婚を通し妻方の母国フランスと関係を結ぶ巧妙さ。

若さと頭脳、そして法王の息子という複雑な立場を武器に次々と城塞を攻略していくさまは圧巻だった。



また、登場人物も非常に豪華だ。

当時を生きた証人としてのフィレンツェ共和国の大使であったニコロ・マキアヴェッリ(1469-1527)。

彼は、チェーザレの勢いを危険視する祖国フィレンツェのために、チェーザレを説得する立場にあったが、一緒に過ごすうちに彼には君主としての類まれなる才能を見出していたというのは『君主論』を読めばわかるそうな。

後世ではマキアヴェリズムとして知られる政治を宗教・道徳観念から切り離して考えるべきとする理想に、確かに一貫して冷徹無慈悲なチェーザレは影響を与えた。


そして、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)。

チェーザレによってその才能を見出され、建築技術総監督として彼のそばで都市の視察から建設計画に尽力する。

著者は、そのことをこのように書く。

歴史上、これほどに才能の質の違う天才が行き会い、互いの才能を生かして協力する例は、なかなか見出せるものではない。レオナルドは思考の巨人であり、チェーザレは行動の天才である。
…(中略)

二人には、その精神の根底において共通したものがあった。自負心である。彼らは、自己の感覚に合わないものは、そして自己が必要としないものは絶対に受け入れられない。
…(中略)

宗教からも、倫理道徳からも彼らは自由である。ただ、究極的にはニヒリズムに通ずるこの精神を、その極限で保持し、しかも積極的にそれを生きていくためには、強烈な意思の力をもたねばならない。二人にはそれがあった。


これは、あくまで著者の解釈する二人の人物像にすぎない。しかし、私は震えた。



学生時代に買ってあった本なので再読だと思っていたら、通して読んだのは今回が初めてだということに気づいた。


この『チェーザレ―』よりもずいぶんあとに発刊された、同じ著者の『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』を先に読んでいたため、本作は著者によるチェーザレへの感情移入、そして彼の生きざま同様若さにまかせた情熱を感じずにはいられない作品だった。

そういえば、フリードリッヒ二世も現実主義的で神をも恐れない人物として描かれていたのだった。
法王の後見を受けていたのに、神聖ローマ皇帝在位後のフリードリッヒの野望により、教皇庁との関係は悪化。
結果、4度の破門をくらったのだった。笑

こうしてみても、著者は冷徹なまでの現実主義を好んでいるのがうかがえる。

私は著者のそんな文体や考えを敬愛している。

その理念を実際の政治にあてはめることを善とするかは、また別として。




今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!(^^♪
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