印象をただよう告解部屋

キラリと思い浮かんだことあれこれ

ファンタジーを綴ることの楽しさを語る

こんにちは、Clariceです。


去年から書き進めている小説でずっと書きたかった場面が書けたので、また小説を綴ることについて書こうと思いました。

かねてからこちらでもちょくちょく言っていましたが、私は趣味でファンタジー小説を書いています。

小説投稿サイト「小説家になろう(以下、『なろう』)」「カクヨム」に投稿していて、更新頻度がまちまちのため、それか魅力が文章力が足りないのかなんだかで読者様はついたり離れたり、といった感じです。


先日、なろうのほうで累計アクセスが1900pvに到達したので、ずいぶん励みになりました。

Twitterの方では、感想いただくこともあり、ものすごく嬉しいです。

ところで、今回のこの記事は、宣伝などではなく、創作論でもなく、心境の記録です。

f:id:Lavandula-pinnata:20210527165447j:plain


以前こんな記事を書いたのですが、なんだかもやもやと引っかかって筆が進まないことがありまして。

lavandula-pinnata.hatenablog.com

というのも、上の記事にて「ファンタジーの世界作りに伴う困難」という項目にこんなことを書きました。

西洋史にハマってから、ファンタジーものを見る目がすっかりシビアになってしまいました。」と。

造語で地名を一つつけるにも、言語がまず気になるという感じです。

例えば、私が地名の一つとしてつけた「ーベルク」は、「ベルク」がドイツ語で山っていう意味だから、前半の文字は意味が通るようにひっつけなくちゃ。とか。

その場合、やはりドイツ語の語源で統一か?
ファンタジー世界に、そもそもドイツ無いじゃん。

とかです。

そんなことを考えていたのですが、割り切ることにしました。

漫画『ベルセルク』の作者様がお亡くなりになられたのを受け、未完はとにかく切ないと思いまして。

わたくしはド素人底辺なろう作家の端くれですが、とにかく完結させねば切ないと思いました。

設定も文章力も大してないなか、動いて会話してくれている登場人物たちに申し訳が立たぬと思うのです。


今では、とにかく進めなきゃどうにもならないということで、固有名詞を極力出さないという技でかわしております。

西洋建築技法や、草花の名前について、固有名詞はガンガン使っていきたいのですが、そこはぐっとこらえ、なんとか言い換えます。

結構ぼろが出てきていますけどね(^ω^)

今日の私のスケジュールは、さっさとご飯を作って洗いものして、あとは小説の執筆という背徳感溢れる一日です。

正直、いい大人が悪いことをしているようで、ものすごくテンションが上がります。

今はブログを書いているわけですが、これは隙間時間の息抜きです。


にしても、なかなか終わりが見えません、、

一年間かけて書いた文字数は、もうすぐ10万文字に届きます。

第一章、二章と書いて、せいぜい三章で終わるだろうと思っておりましたら、今は四章です。

第五章で終わらせるつもりですが、そううまくゆくかしら(´・ω・)


私が書きたくて、意識しているテーマは「成長」です。

主人公たち、はじめはめちゃくちゃ弱いです。

それは力の弱さだけでなくて、心の弱さだったりします。

反対に、近年の流行は「俺TUEEE系」「異世界転生もの」とも呼ばれるジャンルです。

「一度死んで、異世界に転生したらめちゃくちゃ強いキャラに生まれ変わったので、無双する」というようなチートものです。

ちなみにこんなことを書くと、火力強めの創作論争に巻き込まれ、物書き界隈の方々から石を投げられそうなので、否定も肯定もするつもりはありません(;゚Д゚)本当に!!


ただ私が書きたいのは、成長とか信頼関係が築かれる過程だというだけなんです。

RPGなんかでよくある「○○が仲間になりました」という表示が出て、すぐに仲良くなれるわけないじゃないか、と思っていて。

だから、延々と仲間になる過程とか人間関係を描いているわけでして、話がちっとも進まないのも仕方のないことなんです。

いいわけはこのあたりにしておきましょう。


群像劇みたいに進んでゆくので、みんながみんな孤独や過去のトラウマを抱えているのです。

Twitterでは読者様に、仲間たちの仲の悪さを心配されるほどです笑

でも、少しずつ前進していて、その心境の変化だったり、一緒にいることで与え合う影響だったりを書くのが、一番楽しいと思っています。



あとは、「自然」についてもテーマのひとつなんです。
こっちのほうは壮大すぎるので、漠然とした自然観、みたいなものが反映されているのだか、していないのだか、といったレベルです。

難しい問題ですが、私自身、動物が好きなので「獣使い」といった生き方をする人々を描くことによって、人と動物の関係性の捉え方、みたいなものを物語を通して私自身も考えを巡らせています。

動物愛護の寓意があるとか、そういうわけでは全然ないんですけどね。

彼らがもし話すとしたら、こんな感情を持っていたりして、とか。

そんなことを想像しながら、物語に落とし込むのがまた楽しかったりするんですよ(^^)


昨日、ちょうど先日亡くなった愛犬の四十九日ということで、お墓参りに行ったんですよ。

ちょうど、私の書いている小説でも聖獣使いの女の子が、はなればなれになってしまった召喚獣と、再会するシーンにさしかかっているところで。

上手く書けたら、自分の気持ちも消化できるかななんて思ったりしています。

結構、登場人物が自分の「思っているけどできない消化不良なこと」を代弁してくれたりして、そうだよなぁと納得したりすることもあります。

案外、フィクションの小説の方にも、ブログと同じくらい自分の思いや考えが無意識に反映しているのかもしれません。

では、長くなってしまいました。

こんなところで、小説の方の執筆に戻るとします。



今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!(^^♪

PVアクセスランキング にほんブログ村

(小説の方のページはこちら↓)
https://ncode.syosetu.com/n2487gk/

プライバシーポリシー