こんにちは、Clariceです。
今日は、お題「#この1年の変化 」について書きます。
変化といえば、ブログを始めたことなのですが、それに伴いいろいろと心境の変化があり…そんなことについて綴ります。
◇告解部屋のリフォーム
当ブログ「印象をただよう告解部屋」、少しだけデザインを改修しました。
ヘッダーとグローバルナビだけですが、苦心しました。
急にやる気を出したのは…
今の今まで逃げ続けてきた「HTML」やら「CSS」やらを、そろそろ理解する努力をしようと入門編の本を手に入れたためです。
(意識が高い理由は、ブログ運営に活かせるかなという思いに過ぎないのですが…)
本当に、この手のことはアレルギーが出るほど苦手だと思っていました。企業に就職するまでは。
生まれてこのかた、自他とも認める機械音痴だったのです。
◇昔から機械が苦手
中学・高校の情報の授業では、タイピングのスピードが1番か2番目に遅くて。
複数の画像を重ねる、「レイヤー」というものの概念が何度勉強しても身につかず、「何か全部作ってたデザイン消えたわ(; ・`д・´)」みたいなことがしょっちゅうで。
大学のコピー機の使い方、なんど触っても忘れてしまう。
提出するレポートで、全角と半角がおかしい。文字列が揃わない。脚注がずれた!(恐怖)みたいな。
なんとか友の涙ぐましい力添えで事なきを得て、そういうところも学びながら卒業できたのですが。
いやはや、今思うとお恥ずかしい限りです。
◇なんか畑違いなとこに就職した
何の手違いか、運命のいたずらか、気が付いたら一般企業に入社してました。
大学院で西洋史を本格的に勉強して、博物館の学芸員になろうと思ってたのに。
なんでだっけ??
まぁ、いろいろ考えがあってのことだったのですが、不思議なこともあるものです。よりによってシステム系が絡んでくる会社にいました。(今も在籍中)
色々な業務があるので、適材適所、できる人がやってくださっているのですが、手も足も出ないのが、ものすごく悔しくて。
はじめは、自分にできることを精一杯やろうと思っていたのですけど、やっぱりこれでは駄目だと思って。
デザイン編集ソフトのイラストレーター(いられ)、フォトショップ(ふぉとしょ)、インデザイン(いんで)を人並みに使いこなせるようになるよう、日々奮闘中です。
もちろん、今や当たり前に要求されるエクセルも、もっと有益に使えるようにならなくては。
ゆくゆくはスクリプト言語なんかもわかるようにならなければいけないのでしょうか。
プログラマー志望ではないのだけど。
うーん、日常業務の片手間に習得できるのか?長い道のりです。
大学時代に私が、鎌倉幕府の武家様文書を解読したり、古代エジプトのパピルスや中世の羊皮紙を撫でたりしているあいだに、同期が大学で習得していたことを、今更追っかけて覚えている状態です。
自業自得だけど、えげつないハンデだこと(;^ω^)
スキルに関する啓発、研修などがあまりないので(これはひねくれものの私としては非常に助かっている)、そのぶん自ら学ぶ姿勢で、教えを乞うていかなければといったところ。目指せ、聞き上手です。
◇社会に出たら、浦島太郎状態でした
とにかく、とことんまで無駄を削減する方針らしいのです。
まさに今私は、資本主義のただなかに身を置いているという感じ。売上至上主義。売上を伸ばすことに心血を注がなくてはならないのであります!
というポーズをとっている(私は)。
ペーパーレスは、たしかに資源を大切にする、紛失のリスクを回避する、データに落とし込む際の打ち込みの手間を省く、検索が容易等の意味で有効であります。
デジタル化って自分が思ってる以上に進んでいました(/_;)
これ、もっと歴史学に携わる文化財保護やら資料保存に活かせないか?って悲しくなります。
博物館研修に行った先では、虫食いだらけの損傷した資料をインデックス付きの木箱のなかから慎重に探し回っていました。
なんて原始的な!
検索機能にかけられるように、スキャニングしてデータベース化できないんか!と思います。
山のように束ねてあった史料リストも、Excelでスプレッドシートに打ち込む仕様にすればいいのにって。今なら思えます。
でも、です。
データって形あるものと同様に、失われることが約束されているように思えます。
データを再生するハードが時代とともにひっきりなしに変わっていくからです。
今、フロッピーディスクやビデオテープがあっても困るのと同じように。
膨大な量のデータを、いちいち移行して更新なんて追いつきません。
やはり、確実な紙媒体が強いのか?でも水害や火災が起きたら?
そもそも永続的に残すことなど不可能なのか。
なら、人々の記憶に残せばいい。
できる限り、史料を一般公開しましょう。でも、公開すれば損傷、劣化も加速するから表裏一体。
なら、史料を空調完備の保管庫にでも閉じ込めておけばよいか?
でもそれは、その史料の語る歴史を閉じ込めておくのと一緒ではあるまいか。
あぁ。やっぱり私はまだ歴女を抜け出せていない。
今週のお題である「この1年で変わったこと」について。
この1年で変わったようで、自分の核となる部分は全然同じでした。
◇ますます広がる情報格差?
さて、話はとびますが、昨今凄まじい勢いで広がる情報格差について、危惧しているのは私だけなのでしょうか。
もう何でもかんでも電子化、デジタル化!な世の中です。
知っているだけで得なこと、損することなんてたくさん溢れています。
例えば、家電にしても。
外出先から、空調を管理し、洗濯物の電源をONにし、ルンバを走らせ、録画を予約し、犬猫のお留守番を監視できるという今日この頃。
もちろん、これらすべて手に入れられるのは、富裕層であります。
情報格差というより経済格差。ではあるのだけど。
どこまで、最新の技術を以てして「実現可能なこと」なのかは、自ら情報を収集していかないと入ってこないのです。置いてきぼりをくらいます。
ドラえもんの秘密道具だって、その道具の存在を知らなければ、そもそも使うという発想すらできないのと同じに。
もちろん、便利なことが心の豊かさに繋がるとはかぎらないのですが。
(むしろ、心が貧しくなっている場合も全然あります)
にしても、脳がまだ柔らかく吸収力の高い子供や若者は、これらを苦も無く習得してゆくでしょう。
スマホアプリの有用性だって、妹は私の2倍、ギャル(?)の従妹なら軽く3倍は知っています。
かたや、知り合いの一部の年配の方々は、詐欺メール、架空請求に怯え、機種の少ないガラケーを使っています。LINEも危ないから、と。
正しい使い方をすれば大丈夫、リスクでいうとガラケーと変わりないよということでも、なかなか考えを変えることは難しいみたい。
理解できないことが怖いというのは、わかります。
それは確かに当然のこと。私だって、自分が理解できない電子機器類が怖かったんだから。
自分が触ったらフリーズしちゃった、壊れちゃった!、悪質なウイルスが入って来たのかも!とかいう恐怖です。
仕組みを知っていれば、怖くないのに。
でも、この世はあまりにも新たな技術の開発に忙しくて、もうそのような知識や知恵を社会全体に行き届かせるだけの、余力がないのです。
売れる層に売れればいいや。知ってる人がやればいい、とな。
少子高齢化が進んでいるのに。
(もちろん、ハイテクおじいちゃんもいるし、機器類に関心のない若い人もいるのはわかってますけども)
社会に出て思うのは、情報を制する者が、周囲を制するのだという現実。
時代に置いて行かれたくなければ、自分で考えることを諦めず、愚直に必要な情報を収集していくしかないのです。
デジタル・情報処理系に強い人たちからすると、なんてことないようなことでも、です(;´・ω・)
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました!(^^♪