こんばんは、Clariceです。
ダメでした。
河出文庫の二階堂奥歯さん『八本脚の蝶』、去年購入したのに全部読めませんでした。
私は、この本が美しい装丁と名声によって、ただただ美化されていることが、どうしても恐ろしいのです。
目覚めなさい。現実から目覚め、「私」から目覚めなさい。もっと深く夢見たいのなら―。二十五歳の若さで自らこの世を去った女性編集者・二階堂奥歯。亡くなる直前まで書かれた二年間の日記と、作家や恋人など生前近しかった十三人の文章を収録。無数の読書体験や鋭敏な感性が生み出す、驚くべき思考世界と言語感覚。著者没後十七年、さらに鮮烈さを増す無二の一冊。2016年本屋大賞・発掘部門「超発掘本!」
生前の二階堂奥歯さんの、ブログ「八本脚の蝶」に投稿されていた日記が一冊の本になっているというものです。
何とかとばしながら、一応最後は読みました。
でも、なにか得体のしれない恐怖に取りつかれてしまったようで…
手放そうと思います。部屋にあると、どうも落ち着きません。
幸い、私はこれまで一度も死にたいと思ったことはありません。
今後もありません。
例えば、キリスト教世界では、自殺では天国に行けません。
自分を殺すから、他殺と同義なのです。
周囲の関係者の方から、非常に惜しまれるほど聡明であったのに(あるいは、聡明であるが故)若くして亡くなられた、奥歯さん。
私としては、彼女とブログを書き始めた年齢が近いというのが、刺さりました。
彼女は、その2年後に命を絶ちます。
生前の最後の日まで、ブログを更新していました。
1年に読む本の数は、365冊を超えるというほどのビブリオフィリア(愛書家)であった奥歯さん。
その知性とセンスの高さには、驚きを禁じえません。
私の好きな、ボルヘスにも山尾悠子さんにも泉鏡花の『外科室』にもコスメブランドアナスイの魅力にも、彼女はとうに触れていました。
私ごときが、共感性を感じるのは大変おこがましいというのは承知の上です。
でも、なんだか時を超えて、自分を見ているような錯覚に陥りそうになります。
若くして、この世の色々なことを知りすぎた彼女。
まっすぐ向き合いすぎるあまり、この世は本当に生きづらかったのですね。
うーん、ちょっとこの手の読書とは距離を置きましょうか。
私自身、幻想文学にハマり出してから、少しメランコリックになっている部分もあったかもしれません。
私にとって、本を読むことは息をするのと同じようなものです。
だからこそ、おぼれるものではないと実感しました。
と悶々としていたのは、去年のはなし(;^ω^)
今となってはこのときの恐怖、客観的に考えられるようになりました。
幸いにも、わたしの神経はそれほど繊細にできていませんでした。
年末大掃除にて、この本を本棚に見出だすまで、すっかり忘れていました。
けっこう図太いところもあります。
(学生時代のような真面目は、とっくにやめました)
さらに私、旧友からは気がキツイと言われるほどで、奥歯さんとは似ても似つかない私なのでした(;^ω^)
社会の波を、ときには狡猾にうまいこと乗りこなすことも、本を読むことと同じくらい大切。
教訓。
読書で得たことは、自分が幸福になるために活かすこと。
読書や勉学は、どうしても自分の世界にこもってしまう閉鎖的な行為です。
読書は、誉められた行為だと、多くが子供の頃に教育されています。
しかし、のめりこみすぎると、阿片のようなものにもなります。
非常に危険です。
そして、私はいつも何事も戦いだと、大げさに言ってしまいますが。
強くならなくては、と。
それと同時に、自分の正義に対して、ある程度妥協することを訓練として覚えなくては、と。
でなければ、守るものも守れません。
まずは、自分自身を。
そして、大切なものを。
どうしても辛くなったら、きっときっと助けを求めること。
そう思うことのできないくらい、心を病んでしまうことがあったとしても。
どこかに留めておいてほしいと思います。
私自身も数年前にどん底を経験しています。
生きてさえいれば、だいじょうぶです。
微力ながらも、このブログが、みなさまにとって前を向くための一助となれば、これ以上幸せなことはありません。
読書様にむけて、自分の思いを文章に書いて、心の整理ができました。
読んでくださっている方々、本当にありがとうございます(^^♪
新年一発目から、ヘビーな内容ですみません。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。